今年は古今和歌集の成立から千百年、新古今和歌集の成立から八百年の節目の年にあたります。京都を中心にした都の文化の象徴的な勅撰集で、日本文学や日本美、とりわけ日本人の季節感のみなもととなっています。 新古今集に藤原定家の「駒とめて袖打はらう影もなし佐野の渡り雪の夕暮れ」という歌があります。この「佐野の渡り」は、一般的には万葉集の長奥麻呂(ながのおきまろ)の歌と関連して和歌山県新宮市として鑑賞されていますが、東歌の佐野の舟橋の伝承地である高崎の佐野とかかわるともいわれています。これは室町時代の歌学者尭恵(ぎょうえ)によるところが大きいと考えられます。尭恵が歌枕の地を訪れた『北国紀行』に「佐野の舟橋」の記事があるからです。 近世になり彼が大成した「古今伝授」を学んだ高崎藩主安藤重信は、高崎にきてすぐ古今伝授ゆかりの「佐野の舟橋」を訪れ、定家像を作り里人に祀らせました。その後、江戸時代冷泉家再興で活躍した歌人・歌学者冷泉為村の指導を受け、将軍家の歌道師範になり、関東の公家ともいわれた高崎藩士宮部義正が藩の歌人らと、「定家大明神縁起」を冷泉家に書いてもらいました。歌を学ぶことによって、高崎と冷泉家とに深いつながりがあったことが思われます。 定家とはまったく無縁に思える高崎ですが、定家神社の境内にたたずむと、古人の風雅な精神を思い、さらに春は桜、夏は蝉しぐれと、四季を通じて境内の静寂さをまもってきた、佐野の里人の心を思わずにはいられません。 さて、百人一首の定家の歌ごぞんじですか。